京都地方裁判所 昭和25年(ワ)1302号 判決
原告 袖岡末次
被告 小沢ミツ
一、主 文
原告の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し被告肩書記載地所在木造瓦葺二階建一棟(建坪約八坪)のうち階下西側約三坪半の部分を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として被告は請求の趣旨記載の部分(以下本件店舗と略称する)を、その所有者である原告より賃借して(原告に於て之を昭和二十年十二月元所有者竹内某より買受け昭和二十一年一月所有権移転登記を了し竹内の賃貸人たる地位を承継した。)喫茶店を経営して居るものであるが、原告は被告に対し昭和二十四年六月次の様な理由に基いて本件店舗の賃貸借契約の解約を申入れた。即ち原告の妻の妹である訴外藤原末枝子は既に三十二歳になりながら所謂養子娘であると言うことが災して未だ結婚しないで原告に頼つて居るが、同人を自活させ更に良縁を得させるには、先ず何等かの職業を与える事が必要である。処が同人は格別手に職がある訳でない許りか財産とてなく、その上養子を迎えて「藤原」家の家名を立てて行かなければならないとすると残るところ、被告の賃借して居る本件店舗の明渡しを受け、そこで、独立して営業せしめるのが最善の道である。さて右の事由は原告に於て本件賃貸借契約の解除をするについて借家法に所謂「正当の事由」に該当すると言えるのであるが、原告は被告の事情も考慮し、前述の様な解約の申入れをしてからも、同年八月には、本件家屋の近所にあるバラツク建ではあるが、本件店舗よりは少し広い飲食店跡をその家主から借受けて代替家屋として被告に提供し移転方を懇請したが、被告は、この申出を拒絶した。尚本件家屋中他の部分は原告が使用して居り被告は本件店舗を営業に使用するのみで近所に住居を有している。
以上の次第で、原告が被告に対し先にした賃貸借解約の申入れはもとより正当事由があるから、有効であり、法定期間の経過によつて、すでに右賃貸借関係は終了して居ることになるから、本訴に於て原告は被告に対し右賃貸借契約解除に基いて本件店舗の明渡しを求めると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め答弁として、原告主張事実中本件家屋が原告の所有に係り被告は、そのうち階下の本件店舗を原告より賃借して喫茶店を経営して居ること、昭和二十四年六月に本件賃貸借解約の申入れのあつたこと、及び代替家屋の提供のあつたこと、被告が本件店舗の外にその住宅を持つていることは認めるが、その余の事実は否認する。原告は昭和二十四年六月に被告に対して為した本件店舗の賃貸借解約の申入れは、正当理由があり有効であると主張するが、原告の主張する事実には何等の正当性がない。即ち右藤原末枝子が婿を迎えて同人の母方の「藤原」と言う家名を継がなければならない必要が、被告より、その営業の根拠を剥奪して迄被告に代つて本件店舗で営業を始めなければならない理由にならない事は明白であり、又右解約申入れ後二ケ月程して原告は原告の姉所有名義と言うが内実は原告の所有らしいその主張の家屋を代替家屋に提供したが右家屋の使用期間を二ケ年と期限を切つたのであるから、それでは、全然意味がない事になるのは当然である。それで被告は右提供を拒絶するのやむなきに至つたのである。処で現在右代替家屋は淀に住む末枝子の兄の妻名義で、「一ぱいのみや」を経営して居るものの、実質は原告の監督の下に末枝子が、殆んど営業主代理の恰好で客扱いから組合関係迄営業一切を切り廻して居るのであり、又代替店舗は夜間店を開く関係上昼間は同女が原告方の店をも殆んど毎日手伝い、淀の兄嫁も原告店を手伝つて居り実質は原告が両店を経営しているのであるから、原告の言う様に末枝子を独立させ職を与える必要に迫られて居るのであれば、同人が実質上営業して居る右代替家屋を与えればよいのであつて、何も被告が昭和七年初頃本件家屋の前所有者竹内馬市から之を借受け二十年来経営し、殊に被告の夫の死亡(昭和二十一年二月)後は、三人の子供を抱え(子供は現在二十六歳、二十一歳、十一歳になるが営業が朝早くから深夜に及ぶ関係上長男は営業と離れることができず、次男は最近他へ勤めることとなつた)女手にも拘らず営業を続け、被告家族の生活の資を得る唯一の拠り処として居る(被告の住居は町外れの山手で商売のできるところではない。)本件店舗の明渡しを求める必要は毛頭ないのである。本件店舗のある場所は橋本遊廓の中で特種な場所であるから二十年前でも権利金を七百三十円も出して借りたのであつて、本件店舗と同様のものを他に求めるとせば五、六十万円程度の資本を要し貧乏な被告の到底堪えうるところではない。それだのに原告は、偶々本件家屋の所有権を取得したからと謂つて承知の上で、事実上被告の営業を奪い被告家族の死活問題にも等しい本件店舗の明渡しを要求するのは正しく信義誠実の原則に反するもので、原告の本件明渡しには何等の「正当事由」がなく、原告の右解約の申入れは無効と言わなければならないと述べ、抗弁として、仮りに原告の主張する理由が「正当事由」に該当し、従つて右解約の申入れは一応有効であるとしても原告は右申入れの効力の発生した後である昭和二十五年六月まで(同年七月分から同年九月分迄は被告に於て弁済供託した)賃料を異議なく受取つたのであるから、右申入れはその効力を失つたものである。そうすると被告は本件店舗の適法な賃借人であるから原告の本件明渡しに応ずることは出来ないと述べた。<立証省略>
三、理 由
本件家屋が原告の所有であり、被告はその一部である階下の本件店舗を原告より借受けて、そこで喫茶店を経営して居ること及び昭和二十四年六月原告は、被告に本件賃貸借解約の申入れをしたことについては当事者間に争がない。
そこで右解約の申入れが「正当事由」に基くものであるかどうかについて判断するに、証人袖岡トク、藤原末枝子の各証言並に原告本人訊問の結果を綜合すると、原告の妻の妹である右末枝子は父の死亡後生まれ母が内縁関係にあつたので、父より認知を受けることが出来ないままに、母方の「藤原」の姓を名乗り、兄姉は父の姓である「隈取谷」と言う姓を名乗つて居ること、従つて母が昭和二十四年九月に死亡したので「藤原」氏の者は同人のみになり藤原の氏を同人が継ぐ必要があり、その為には婚姻後その氏を称する男子と婚姻しなければならないこと、同人の母が死亡する数ケ月前親族間に於て、同人に被告の本件店舗を与えて独立させる話があり原告もその心算で居ること、及び現在同人は独身ではあるが婚約者はなく、殆んど、原告と同居して居ることが認められ右認定に反する証拠は他にない。そうすると同人が所謂入婿を迎えて「藤原」の氏を継がなければならない法律上の義務は、何等無いのであるが、今その点は暫く措き、原告は右末枝子とは姻族の間柄にあり、且同人は経済的に独立して居らないのであるから、原告は同人を扶養する関係にあり、右関係は単なる道徳上の要請のみではなく法の予定する処でもあるし(民法第八百七十七条第二項)更に同居の親族として互助の義務も原告に課されて居る(同法第七百三十条)然し、原告がかかる関係にある事のみよりして直ちに本件店舗の明渡しを求め得るものではなく、本件店舗の使用に関し当事者双方の利害得失を相関的に比較考量して「正当事由」の有無を判断しなければならない。そこで原告側の事情は、前段に認定した様に本件店舗の明渡しを被告より受ければ原告は右末枝子に使用せしめ、営業によつて経済的に自立すれば、所謂入婿も或は迎える事が出来、そうすると、同人は安定した生活を送れる情況の下に置かれるかも知れないと言うだけであつて、現実に、末枝子に婚約者が既に決まつて居り乍ら新居に窮して結婚を延ばして居るとかその他実際の必要に迫られているのではなく、将来の為、ただそうすることが望ましいと言つた一種の期待以上には出ないのに反し、被告側の置かれて居る事情は、証人小沢潤一の証言に被告本人訊問の結果及び検証の結果と弁論の全趣旨を綜合すると、被告は、本件店舗を二十年余り賃借して喫茶店営業をして来たこと。始めの間は、被告の夫が鍼灸業をして居たので、寧ろ副業的に被告が経営して居たが、夫が昭和二十一年二月に死亡してからは、被告は専ら右営業の収入のみによつて三人の子供を養育して来たこと。右店舗の所在地が橋本遊廓の中心部にあり、従つて廓通いの客を相手に営業をしているので夜遅く迄営業を続けなければならず、現在長男を手伝わして、被告と二人で交代で当つて居り、右営業を継続するには、どうしても長男の助力が必要であること、右営業純益月額約金二万円で、それによつて被告の家族(被告の外長男二十六歳、二男二十一歳、三男十一歳の四人家族)の生計を立てて居ること、尤も二男は会社に勤務し月約四千円を家計に入れて居るが、到底被告の一家がそれに頼ることは出来ないこと及び被告の居宅は、廓より外れた辺鄙な場所にあり、そこを改造して店舗を経営した処で成立つものではないこと及び被告の現在の財力を以てしては、早急に本件店舗に代るものを獲得し難い事情にあることが認められ右認定に反する証拠はない。そうすると原告の本件店舗を必要とする度合より、はるかに被告の必要性の方が大であり、被告より本件店舗を奪われると忽ち生活に重大な支障を来す事になる。しかるところ、借家法に於て賃借人の利益のために保障しようとして居るのは、主として住居の安定であることは同法制定改正の経過より見て固より当然であるが、併し同法が単に住宅のみに適用あるものでなく、本件店舗の如きものも又形式的には同法適用の客体たることも極めて当然である。只客体が住宅である場合と店舗である場合とは自らそこに正当事由の有無を判断するにつき微妙な区別を存するにすぎない。即ち一般的に云つて、前者の場合は正当事由の有無をより厳重に、後者の場合はより寛やかに判断するのが相当である。而して本件に於ては前記の通り原告に於ては本件家屋の明渡を受ければその妻の妹が将来生活の安定を得られるだろうと言う関係にあるにすぎないのに、被告に於ては本件家屋を明渡せば被告一家は過去二十年間に亘る生活の基礎を根底から破壊されるに至るものであるから、原告に於て本件家屋を必要とする度合と被告のそれとは著しく差異があり、家屋を必要とする利害の程度に斯る明白なる差異のある場合は、本件は住宅には無関係であるとの前記の点を考慮に入れても、尚且被告の使用に優位を認めるのが相当であつて前記原告の主張する事由は未だ「正当事由」に該当しないと判断するのが正当である。
そこで更に進んで原告の右解約の申入れ後、代替家屋の提供にも拘らず被告が明渡を拒絶したことは、原告主張の正当事由を補強しうべきものなる旨の主張の当否について考えて見ると、原告は、被告に右解約申入れ後二ケ月程経た昭和二十四年八月頃本件家屋より約半町程離れた処にある代替店舗を提供したことについては当事者に争がない。右争のない事実に、証人袖岡トクの証言に原告本人訊問の結果(以下認定に反する部分を除く)及び被告本人訊問の結果を綜合すると、本件代替家屋は原告の姉である訴外袖岡トクの所有であるが恰度昭和二十四年八月頃空屋になつて居たこと、及び被告は右提供の家屋が空屋なので直ちに移転出来ると思ひ原告の右提供に応じようとして原告と話合つたが、原告はその使用期限を二年に制限したので、被告は二年先の解約の不安におびえて結局原告の右提供を拒絶したことが認められ、右認定に反する原告本人訊問の結果は措信しない。右に認定した事情の下に於て、尚借家人である被告に右代替家屋に移転する事を強いることは被告に酷にすぎるものと云うべきであるから、被告の右提供の拒絶は相当であつたと言わなければならない。
そうすると、被告には賃借人として何等の責む可き処はないのであるから、原告の「正当事由」を楯に右店舗の明渡しを求める原告の主張は爾余の判断をまつ迄もなく失当たるを免れない。
よつて原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 宅間達彦)